菅野よう子、魔人説:強烈な個性を出す為には

菅野よう子魔人説、二回に分けて行う菅野よう子という作家を紐解く記事。
前回はいかにして菅野よう子が幅広い作風で大量の曲を量産できるのか、という。多作家としての側面を掘り下げていました。

何度も紹介しますが元のインタビューはこちらです。
日本のアニメに革新をもたらした作曲家の、広がり続ける音楽世界


みなさん音作りをするにしても、曲の作り方を研究するにしても、一流のインタビューほど沢山の事が学べる物はありません。是非色々読み漁ってみてください。

菅野よう子のもう一つの魅力、そして絶対的な強みは「これは菅野よう子か??」と思ったら必ずクレジットに菅野よう子と書かれている。

そんな独特の記名性にあると考える訳です。

さて、一旦ここでインタビューの最初の語り口を見てみましょう。

音楽の力で世界中のアニメ・ユーザー、そしてミュージック・フリークスたちを虜にしてきたのが菅野よう子という音楽家だ。(中略)壮麗なオーケストレーションとブルガリアン・ボイス、そしてトライバルなテクノやブレイク・ビーツを応用したその音楽性は当時極めて独創的であり、日本国内でもアニメ業界を超えたさまざまなシーンから賞賛を集めた。

さて、あなたの知っている菅野よう子楽曲はすべて壮麗なオーケストレーションとプルガリアンボイス、トライバルなテクノやブレイクビーツを応用した音楽性なのでしょうか??


違いますよね…そこなんですよね。一般的なアーティストの記名性はある種のジャンルらしさ(つまりフレーズパターンであったり、サウンド、和声、進行)に依拠する事が多く、違うパターンとしてはメロディーに癖があるだとか、あとは特定の進行を多用する事…ぐらいでしょうか。

どんな作風で作っても菅野よう子だと思われてしまう作り方。気になりませんか??

それではは菅野よう子の記名性を通してアーティストの個性について考えてみたいと思います。今回も菅野よう子さんの素晴らしい楽曲と共に長文の方お楽しみください笑

幼少期から垣間見るプリミティブな体験との関連


再び幼少期から掘り下げてみましょう。
一番古い音楽の原体験を振り返ると、讃美歌との出会いがあったんですよ。たまたま幼稚園がカトリック系だったので。(中略)いわゆる「ありもの」の音楽と して最初に演奏したのは讃美歌だったんです。そういう原体験があったからなのか、今気持がヨーロッパに回帰していて。すごくプリミティヴな感情に戻りつつある感じ。
それはイエス・キリストのルックスがタイプだった?
超タイプだった。顔の彫りも深いし、万能ですからね。讃美歌って、そんなキリストさんを讃美する歌なので大好きだったんでしょうね。

彼女にとってプリミティブな音楽との出会いというのが、宗教音楽…つまりは讃美歌だった訳ですね。イエスキリストのルックスが超タイプだったという話はちょっと面白いですね。彼女を掘り下げる時に一番に突き当たるのが、プリミティブな音楽との接触。そしてそのプリミティブな感情を曲として形にする。このワードに突き当たります。

プリミティブ (primitive): 原始的、素朴な、幼稚な、などといった意味(wikipediaより)

例えば本当に幼少期に作っていた音楽の話では
「朝は綺麗だな」とか「春は美しいな」とか、そういう極々当たり前の自然現象に関する歌が多かったですね。
この幼少期に感じるごく当たり前な感情を音楽として昇華する、という事をずっとやっているようなのです。

これを一般の作曲家…バンドマンに当て嵌めて言うと、初期衝動を用いた作曲をずっと続けられているという事なんですよね。これ地味に凄い事なんですよね。
世の中のバンドの大半が1stで全てを出し切って枯れてしまう…長年新作を出せない。勿論ツアーの有無もありますが大半が初期衝動による作曲による限界だと僕は考えています。


彼女のイエスキリストに対する憧憬の気持ちを現在の作風を見返してこんな風に語っています。
 そういう憧れの気持ちこそ、万物を生み出したりあらゆることに万能である神や、さまざまな自然現象に対して音楽を捧げようと思う、もっとも原初的な衝動だと思うんですね。(中略)私が作る音楽って「壮大だね」とか「宗教音楽っぽいよね」と言われることがあるんですけど、子供の頃のそういう体験や経験が刷り込まれているからなのかな
こういう所から本人がプリミティブな物、気持ち、感情をすごく大事にしている事が分かりますね。
彼女のプリミティブな感情へのアクセスとしてはこんな事も言及していて
たとえば「赤とんぼ」のような、唱歌と同じように愛される曲を作りたいと思って、自分の気持ちを一週間くらいかけて4歳の頃に戻して、書いた曲だったんです。私はいつでも使えるよう子供のころの気持ちを冷凍保存していて、たとえば「14歳の気持ちで作ろう」とか、そういうことをやるんですけど、4歳にまで戻したのは初めてでした。
えっと…4歳の気持ちで作る???自分の4歳の気持ち…覚えてるかなぁ…(白目)

ただ、好きに作るという事…について前編で指摘しましたが、今自分がどう感じているのか、どんな物を作りたいか。自分とは何かという物を考えた時に、今自分が何をしたいのか(作りたいのか)という事と解釈出来るように思います。そういう意味ではJacob collierの自分の好きな物、をすごく大事にする。Feel Goodと感じた物をしっかりツールボックスとして蓄えておくと言う事に凄く通じるように感じます。

あとは、たとえば教会でオルガンを聴いていると、空から光のように降り注ぐような音のリバーブに包まれて、神の存在を感じながら「もう私を好きにして下さい!」みたいな極限の気持ちになると思うんです。そういう音響的な要素が精神というか、脳に与える影響を考えながら作ったのが『マクロスプラス』の劇伴です。

物→人→音の変換を数多くすることでまた逆の事も行っているんですよね。音を人にぶつけた時にどのような影響、心理状態に動くのか。そこを想像の力…つまりは想像によって現実で体感出来ない現象と対峙してプリミティブな体験として自分に入れ込んでいる、という考え方で合っているのかな??


思春期の想像と作品に対する考察 


さて、プリミティブな体験、感情、それを様々な音楽の語彙を駆使して形にする。そんな何となくの方向性は見えてきたと思うんです。ただ、端々に出てくる空想性、想像の世界の話、そこに対する想像力…を端的に表してくれる文はあまりなかったんですけど(笑)

少女時代について…
私は特に生と死というものに心惹かれていたんですよね。あと子供って性に対しても興味を持ちますけど、私の場合、そういうあらゆる欲動的なものに対する興味が人一倍強くて。家族の前では不適切な死を題材にしたものは口にしてはいけなかったので、まるで思春期の子供がイケない本をこっそり読むかのように『悪の華』を読んでいたんですよ。
これ、見るものを制限された家の子の方が創造性が高くなる一例というか…実際は色んなものを見ているのでしょうけど、このころから人間の衝動の中でも最も真ん中にある物…性だったり、また生と死の話題であったり。ここは簡単に真似出来るものでは無いのでしょうけども面白い部分ですよね。
まるで19世紀のフランスの女の子みたいですね(笑)。
本当に(笑)。生と死に惹かれていたから、教会も好きだった。でもそういうことって、実は今も考えていることではありますね。
「生きるとは?」「死ぬとは?」ということですか?
そうですね。生きる意味、死ぬ意味について。

想像による音楽制作の始まり


大学在学時代に光栄(現コーエーテクモゲームス)の『信長の野望』といったゲーム音楽を手掛けた事について
初めて世界観や設定のある作品に音楽をつける仕事をされたわけですね。
(中略)あと各大名の姫の曲を作る時とか、「政略結婚で嫁いだ」というエピソードを聞くと、「まだ14歳なのにワケの分からないオヤジに嫁ぐなんて、なんて可哀そうなんだろう・・・」という悲しい曲をつけていたんです(一同笑)。
そういう想像力や感性は、もしかしたら文学少女時代に磨かれたものなのかもしれませんよね。(中略)そうなのかもしれません。「大航海時代」というゲームでは行ったこともない国の音楽をたくさん作りましたけど、それもほぼ想像で書いていたので。たとえばアニメの曲にしてもそうですけど、視覚的なイメージや心象風景を描いてから作りますから。

ここら辺で大分読めてきましたね、彼女の音楽作りの根幹は音楽性の追求(作家としての記名性)ではなく(もちろん劇伴作家という側面もあるが)、視覚的なイメージだったり心象風景を想像する力、そしてそれに対するプリミティブな感情へのアクセスを今でも維持する事によってより生々しい感情を表現したり、(政略結婚の件など)自分なりの物語への肉付けを行う事でより、作る音楽の形を明らかにする。

そしてそれを色んなジャンルやヒット曲の法則、そういったボキャブラリーで形にしていく。そんなプロセスの様に感じます。あくまでどういう音楽表現をするかは、どのような物語を付与するかが決まってから…そんな風に感じられる一言がこちら。

私の考えるアニメの音楽はそのシーンの情景や人物の心情を音楽でどう付加するかなんですよね。盛り上がるかどうかは、あくまでも結果でしかないというか。

作品設定に対する独自の考察の掘り下げ


一番驚いたのがここですね、時代考証をして音楽を作るにあたって前後の時代まで深く考えている…ややもすると余計とも言える肉付けかもしれませんが、音楽にストーリーを与えるほどに音楽制作に物語性を持ち込んでいる、ここに一つの菅野よう子らしさが感じられます。例えば

 作品の時代設定から、この作品の中で流行しているかもしれない音楽を真剣にイメージして作っていきました。音楽って、何年かのサイクルでトレンドが戻ったりするじゃないですか。『マクロスプラス』の時代ならきっと流行が今から2回転くらいしているはずだから、今のこの音楽的な 要素は残っていて…
 「このアイドルはこういう生活環境にいて、こんな音楽が流行っている時代に生きていて、こういう存在に憧れている」とか、そういうことを考えながら音楽を作るのが好きなんです。「2ndシングルはこういう展開を期待しているから、デビュー曲は敢えてこういう曲調にするに違いない」とか、シングル5枚くらい先の展開を考えながら、音楽でストーリーに肉付けをしていくような作業がすごく好きですね。その人物の人生を考えることが好き、というか。そういう部分も、文学にのめり込んでいた時期の経験が生きているのかな?って。

こんな事まで普通は考えないですよね笑。菅野よう子の作る音楽には一つ一つ意味があって、例えばサウンドや進行にも物語を配置していっている。その過剰とも思える肉付けに菅野よう子らしさは存在しているのでは無いでしょうか??
この事を端的に表して居ると思うのが、退屈なループはあり得ないという発言に対して
そう、意味分かんない(苦笑)。同じメロディ、同じリズムをお決まりのようにただ反復しているだけの音楽は退屈しちゃうし、つまらない。ただそこに「洗脳」や「催眠」という意味が伴えば話は別ですけどね。あとライブ会場で実際に体感すると、意図が汲める音楽もあります。
という言葉を残しています。ただし…その肉付けとプリミティブな体験というのはあくまで同居している物なので各所に体感する事の大事さを語っています。 またインタビュアーの締めの言葉も

改めて菅野さんの音楽はイマジネーションだけではなく、実際に体感したことや経験の積み重ねで生み出されているものだということがよく分かりました。
このようになっていて、体感、経験した事、そしてその事物に対するプリミティブな感情、そしてその自分へのアクセスを基盤に曲作りが成されている事が分かると思います。

まとめ:菅野よう子としての在り方


制約は私にとってありがたいものですね。私は外界との境目があまりない人間で、制約がないととろけちゃうというか(苦笑)。すぐにいろいろなものを吸収しちゃうし、すぐに出ていっちゃうし。制約の中で物を作る方が楽しいんですよね。(中略) 逆にそういう制約がないと、ドロドロっと自分の意識が溢れてしまって、形を成さないんですよね。自分の意識って感覚として実体化していて、体から常にはみ出していて、それを引きずって生活している感じなんです。
菅野よう子さんのように職業作曲家としての音楽制作と、バンドであったり一人のアーティストとして音楽を作る事は大分違うようにも感じます。しかしながら…見えもしない自分らしさであったり、今まで活動してきたジャンルらしさであったり、そういう物に拘泥してしまう人って本当に多いと思うんです。

実際にメジャーなアーティストであっても、方向転換しようと思った時に相性の良いプロデューサーと出会えておらず…既存のファンを手放してしまっただけ…みたいな事見かける事ありますよね。

彼女の強さは今まで吸収してきた圧倒的な音楽のボキャブラリー、そして想像力を下支えする考察力であったり、生と死についてであったり、人間の本質に迫るような題材でもしっかりと考えている人間としての幅の広さ、そんな物によって下支えされているように感じます。

その下支えがあるからこそジャンルレスに様々な曲を書いても"菅野よう子らしさ"を失わず、そして本人はそれに変に固執する事無く自由自在に様々な作品へ音楽を提供し続けているのでは無いでしょうか。

正直このインタビューを見てこの人が引退する絵が見えないし、ずーーっと仕事という制約、箱庭を貰っては無邪気に遊んでいるような気がしてなりません。化け物ですよ…

最後に二編を統括して見えた菅野よう子の作曲法を私なりにまとめてみました

  1. プリミティブな物を大事にし、その時の自分を良く見つめる事
  2. 現実で出会えないシチュエーションに対しては想像の旅をし、そしてそれとの出会いをプリミティブな形で確認する事
  3. 様々なジャンル、そして名曲を書くためにとにかくコピー、譜起こしをする事
  4. 想像の旅をするにあたってその土台となる知識であったり基礎を作る事
  5. 一つ一つの音に物語性的な意味を持たせるつもりで肉付けしていくこと

そして本当に最後に…この作りかただけが全てでは無い、と思います。その事は他の著名なミュージシャンも言及しておりまして僕の敬愛しているCory henryはインタビューで尊敬しているミュージシャンについてこんな事を言っています。
こう言った人たちはみんな、自分たちいの音楽性を限界まで広げているし、その音楽を素晴らしいキャリアとして色々な方法で示すことでミュージシャンにとっての成功のスタンダードを定めたと思う。(JTNC3より)
そう、音楽性を突き詰める事によって見える世界は必ず存在している…と言えるのかもしれません。

いずれにせよ異常と言えるほど突き詰める事によって他の人とは違う何かが生み出せる…そのアプローチが音楽であれ想像であれ…そんな風に感じたインタビューでした。

今回の記事を書くにあたってサウンドトラックからシングルまで色々聞きましたが本当に良い曲が多いですね。我々サブカルと発展と共に成長してきた世代にとってポップセンスの源泉になっているかもしれませんね。

今回の記事がみなさまの音楽活動の糧になったら幸いです。またインタビュー目当てで音楽雑誌を買って見るのも良いのではないでしょうか。

内容が余りに濃い為にもし不明瞭な部分があった場合には是非こちらから本文を!
日本のアニメに革新をもたらした作曲家の、広がり続ける音楽世界


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