菅野よう子、魔人説:幅広く沢山の曲を作る為に必要な事とは

後編はこちらから
みなさま菅野よう子という作曲家はご存知だろうか…知らない??まさか、この曲聴いた事ないです??


ご存知、ないのですか??まぁアニメに明るく無かったら厳しい…かも??じゃあこっちは??

こんな風に日本に住む限りあらとあらゆるコンテンツに顔を出す菅野よう子。

今回はJacob collier以来のアーティストそのものに迫る記事です。
基にした記事はこちらのRed bull Academyのインタビュー記事

非常に長い!が、全部必要な言葉に見えてしまってたまらないので、生の声が聞きたいならこの記事を全文読むべきでしょう。

僕の理解がしっかりと至っているかは分かりませんが、自分なりに咀嚼した言葉と文明の利器によって彼女の源体験を分かりやすく伝えられればなぁと。

また20代前半というとても創作者として大事な期間を過ごしている自分に還元出来ればなと。
今回菅野よう子というアーティストを理解するにあたって、二つのテーマが必要だなと感じた訳です。その二点が
  • 幅広い作風と異常とも思える作曲量
  • 何をやっても菅野よう子と言われるその特徴性
今回は前者の多作家としての菅野よう子に迫っていけたらなと思います。

菅野よう子という作曲家

21世紀においてサブカルチャーに触れる者なら誰でも、意識せずともクレジットに刻まれている菅野よう子、そこのあなたも知らないうちに菅野よう子に出会っているかもしれません。
彼女が音楽を担当したアニメ作品を列挙すると
マクロスプラス(1994年)
マクロスプラス MOVIE EDITION(1995年)
MEMORIES - 『彼女の想いで』(1995年)
天空のエスカフローネ(1996年、溝口肇との共作)
音響生命体ノイズマン(1997年)
カウボーイビバップ(1998年)
ブレンパワード(1998年)
∀ガンダム(1999年)
劇場版エスカフローネ(2000年)
地球少女アルジュナ(2001年)
カウボーイビバップ 天国の扉(2001年)
劇場版∀ガンダム(2002年)
WOLF'S RAIN(2003年)
攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX(2003年)
攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG(2004年)
創聖のアクエリオン(2005年、保刈久明との共作)
攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society(2006年)
DARKER THAN BLACK -黒の契約者-(2007年)
創星のアクエリオン(2007年、保刈久明との共作)
Genius Party - 『BABY BLUE』(2007年)
劇場版アクエリオン(2007年、保刈久明との共作)
マクロスF(2008年)
マクロスFまででこれだけやってて。最近だと残響のテロル、坂道のアポロンもそうですね。
で、これに合わせて三國志などのゲーム音楽、CM音楽1000曲以上、そしてアーティストへの楽曲提供。

実写映画だと海街ダイアリーとか、はちみつとクローバーとか、アニメ関係だけじゃないですね、死ぬほど曲を書いています。たまーにゴーストライターが居る説とか言われることもありますが…意味不明な量過ぎて逆に自分で書いてるでしょ…。



僕も小学校の頃から彼女の存在を知り、マクロスや攻殻機動隊を初め様々な作品で存在を知りながらも、今回改めて調べて僕が大ファンである大航海時代2のサントラも手掛けている事を知りました笑

シリーズファンとしては新たな発見に繋がったなと感動もひとしおです。

それでは紹介はここら辺にして、本人の音楽を聞きながら皆さんと一緒にインタビューの方を紐解いていきたいと思います。

菅野よう子幼少期



ここら辺はサクッと…と言っても面白いエピソードは沢山あるのですが…
菅野さんは、幼少の頃からさまざまな作曲コンクールで数々の賞を受賞され たそうですが、その当時のことを今はどのように振り返っていますか?
「コンクール荒らし」のように言われていたのは小学校2年生以降のことで、一番古い音楽の原体験を振り返ると、讃美歌との出会いがあったんですよ。

先ほど小さい頃からオリジナルの曲を作っていたと仰っていましたが、どんな曲が多かったのですか?「朝は綺麗だな」とか「春は美しいな」とか、そういう極々当たり前の自然現象に関する歌が多かったですね。


やっぱり小さい時から才能があったんじゃないか!(憤慨)となりそうな話ですよね笑。ただ当たり前の事に対して曲を書ける、という事から恐らく当時からとにかく数を自然と作っていて、その積み重ねがある事が容易に想像できます。

どうしても年を食ってから作曲を始めたり、楽器がある程度弾けるようになってから始めると最初期の自分の曲の稚拙さに耐えられず辞めてしまう人も沢山見受けられて勿体ないなあと…。僕はコンクール出す事もせず作って先生に見てもらってましたが…笑

その頃の私って、コンクールやコンテストでは一位を取るために「審査員が気に入る曲を作ろう」と思っていたんですよね(笑)。子供ながらに、「ここで転調すると大人にはウケるぞ」とか、審査員が喜ぶツボを心得ていて。(中略)コンテストで審査員だったその方(芥川)は「そんなことしなくていい」と。「好きなように作りなさい」って言ってくれたんですよね。

ここからは二つの事が読み取れて、まずウケるツボを押さえる、売れる事に対しての嗅覚を持つ。この事は決して無駄ではなくて、むしろ自分の音楽性を追求する為に自分の音楽性を損なわずに職業として音楽を続けられる道具になり得るんですよね。

この事は小学生時代に作曲を習っていた先生からも、「売れている曲が何故売れているのか分かった上で好き嫌いを下しなさい」と言われた事をずっと胸に持って曲を書くようにしております。

もう一つはJacobの時にも強くフォーカスしましたが、好きなように作るという事ですよね。 菅野よう子さんもこの後この言葉は今でも凄く生きているという風に言っていますが、自分が好きな物を大事にする、そうする事で自由になれる。そして、作り手の思想や好みが新しい価値体験となってきている、そんな風に思います。インタビューに戻りましょう。

音楽大学ではなく早稲田大学の文学部に進学されます。なぜ文学部に? 中学から高校時代に、激しくグレまして(苦笑)。(中略)「この世界なんてなくなればいいのに」みたいなことを割と真剣に、激しく思っていた時期があったんですよね。(中略)その頃の私は、自分のそのドロドロした思いを文章にしていて、次第に小説家になりたいと思うようになったんです。

あ、この人も中二病にかかってるぞ笑。やっぱりみんな、あるんですねぇ。そして早稲田大学の文学部に進学、その後バンド活動とゲーム音楽制作に邁進するようになります。

どうやって色んな物を吸収するのか


 当時の私は便利だったと思う。だいたい1年生の頃って先輩にこき使われるじゃないですか。譜面も書けるしコピーも出来ちゃうから、先輩から便利がられて「この曲、明日までに譜面にしておいて」とか言われて「はーい。やっておきまーす」みたいな感じ。大学生時代の上下関係なんて、そんなものじゃないですか。Al Di Meola(アル・ディ・メオラ)のギター・ソロとかも、全部譜面に起こしたりしていたんです(笑)

大爆笑。でもこれ個人的にちょっと後悔の一つでもあって、もっと死ぬ気で色々譜面起こしするべきだったなぁと…自分の在籍していたサークルもバンドマンのるつぼみたいなサークルでして東京事変からTMRevolutionからPianojackやってドリムシもやって…みたいな事。

今でも十分生きてくるなと感じるのですが、もう少しカッチリ譜面とかにしておけば身になっていたんじゃないかなぁとか。その反省があって留年王の記事を書いたり、このブログを立ち上げたりした訳なんですけどね。

恐らく、アナリーゼ等も平行して行うと吸収力としては大きくなるのでしょうが、耳の方でも音情報を完全に扱えるようになるという意味では譜面起こしが一番良いのかもしれませんね。


そういうことやっているうちに、いろいろな音楽のマナーを覚えちゃうんですよね。それまでクラシックしか知らなかったから、実はリズムに対する感性がゼロだったんです。「え? リズムってなんですか?」みたいな、本当にそんな感じ。だから大学に入って、先輩のバンドで初めてドラムを見た時は「なんじゃこりゃー!」って。「え? これは何をやっているんですか? どういう楽器? どうやって演奏してるんですか!?」みたいに衝撃を受けてしまって、そのドラムを叩いていた人がいた軽音サークルに入っちゃうんですよ。そんなモンまったく珍しいものじゃなかったって、あとで知るんですけどね(笑)
ここ好き。

 でも生のドラム演奏を見て、初めてビートというものを体感できたんですよ。バンドサウンドに対する興味がすごく強くなっちゃって、「あの楽器のことが知りたいぞ」と思って、軽音サークルに。そしてサークルでいろいろな曲を聴いて耳コピをしているうちに、自然に分析ができたんですよね。ドラムとベース、そしてエレキ・ギターの役割とか。「ん? これベースじゃなくてシンセ・ベースなんだ。どうやってこの音作るんだろう・・・?」なんてことを、強制的にずーっとやらされていました。今思えばですけど、その時の経験は自分にとって大きいですね。ビートについても、手取り足取り教えてもらいましたから。

ここ、恐らく大事な部分が二つあって、1つは体感する事の大事さ。後半の質問でも触れているのですが、ビートを体感する事によって(例え大した事の無い演奏だったとしても)彼女の音楽観というのは凄く変わった訳で、現状のテクノロジーでは生で聴くと同等の情報量を感性にぶち込む事はまだ出来ないのかなあとも思います。

大学生になったばかりの時はこういうアレンジメントに関して全く知らなくて、ひたすらコピーして教えて貰っての繰り返しだったというエピソードは非常に指針になるのではないでしょうか。

体感する事に関してはこんな事も言及しています。
自分で演奏してて燃える、と思えるブラス・ファンクをやってやろうと思ったんです。あと大学生の「便利屋」時代に、ブラック・ミュージックのコピーをたくさんしたんですよ。リズムというものに出会ってからは、「どうして同じようにドラムを叩くのに、黒人と白人の音楽でここまでリズムは違うんだろう?」というのがわからなくて、実際にニューオリンズまでジャズやファンクを聴きに行ったんです。
大学時代にアメリカに?
はい。Greyhoundバスでアメリカ大陸を横断しました。ホテル代が無いからバスの中で寝泊まりしたり、若いからできたことだと思います(笑)。ロサンゼルスの路上で弾いているバンジョーのリズムに「かっこいいなぁ」なんて思って、東に向かってバスに乗っていると、段々と路上で演奏している人たちのグル―ヴが揺れてくるんですよね。高校生くらいの黒人の男の子が、スネア1個で超かっこいいファンクをやっていたりするんですよ。そういう出会いを通じて、同じジャンルの音楽でも演奏によって感じる”色気の違い”が面白くて。その旅を通じて「ビートって一つの言語なんだ」と思ったんです。でも「関西弁を真似する東京人」じゃないですけど、昔は黒人のかっこいいビートに憧れても近づけないことにもどかしさを感じていましたね。最近は「ホワイト・ファンクがあるならイエロー・ファンクでいいや」と思うようになりましたけど(笑)。
ここは…僕自身はまだ結構ブラックなビートに関してはまだまだ諦められてない所があって、結構日本の著名なミュージシャンは割と似た事…「イエローのリズムでいいやんけ、みたいな」、僕は機械でビートを研究出来るような時代になったからこそ肉薄する事は可能だと考えていて、僕の理論ページにやたらとリズムがあるのは完全にそのコンプレックスですね笑。僕もある意味リズム、ビートに人生を狂わされているのかもしれない笑
日本人て、憧れが強いからやりすぎちゃうんですよ。デフォルメしちゃうというか。ビートに関しては、今もまだ入口に立ったところだと思っています。ブラジルに行ってサンバやボサノバを聴いた時、「このビートはまた違う言語だ!」と思ったんです。南米のみなさんて、リズムに感情を揺さぶられて涙を流したりするんです。私はまだその境地には到っていないというか、その衝動を突き動かす“ビートの真理”のようなものに、辿りつけていないと思っていて。まだまだ掘れるなと。
あっこの人まだまだ掘る気だ…()

売れる物を分析する事


当時流行っていたMichael Jacksonとか、Madonnaとかを無理矢理コピーさせられていました。あの当時は「なんでこれが売れてるのか意味分かんない!」とか思っていましたけど、分析していくことで「ヒット曲のクセ」みたいなものが見えてくるんですよね。「ここをこうすると、みんな気持ちいいと感じるのか」とか。ポップスのイロハ的なものを、そうしていつのまにか吸収していた気がします。
これは僕が小学生の時分にヤマハ音楽教室の作曲家コースに二年ほど通っていたのですが、常々先生にクラシックだけでは無くまず売れてる物を聞きなさいと。売れてる物を聞かなくて良いのは売れてる理由が完璧に説明出来るようになってから、という風に仰っていまして…多分これは曲書きに携わるのであれば意識しておいて損はない事なんでしょうね。

どうしても売れ線の物を書きたくなければ、それを全部避ければ良い訳ですし、逆に自分の音楽性を押し通す為に、音楽性の本質で無い部分であれば売れる要素を入れ込んでしまえばぶっちゃけな話生活も安定してより創作に打ち込める訳ですよ。これは職業作曲家をやるとの、バンドマンをやるのと…また色々変わってくるのかもしれませんが。

菅野よう子を構成するもの…


後編の菅野よう子らしさを追求する記事に繋がってくるのですが…
アニメや実写、CM音楽もそうですが、時間的にもテーマ的にもさまざまな制約が要求される物作りだと思います。菅野さんはその制約について、どのように捉えていますか?
制約は私にとってありがたいものですね。私は外界との境目があまりない人間で、制約がないととろけちゃうというか(苦笑)。すぐにいろいろなものを吸収しちゃうし、すぐに出ていっちゃうし。制約の中で物を作る方が楽しいんですよね。だからCM音楽とか大好き。
とにかくなんでも吸収しているんですよね。 でとろけてぐちゃぐちゃになる事を自覚している。それでなんで菅野よう子らしさという記名性が強烈に来るのか分かりませんが…

だから私に仕事を依頼してくださる相手が、どの私を見て依頼してきたのかな? って気になるんです。要求される内容が人によってぜんぜん違いますから。「アニメは知らないんですけど、実写映画を見て・・・」という方もいらっしゃるし、もちろんその逆も。NHKの連続テレビ小説『ごちそうさん』の音楽をやりましたけど、それしか知らない方もいらっしゃる。「菅野さんってアニメもやられているんですね」って言われたり(笑)。相手がどのドアから入って来てくださったかによって、私の音楽に対する解釈の違いはさまざまです。

制約の中に入れて貰う事によって自分の記名性が分かる、というか作品に対して作品の事を凄く考えて作られる事で菅野よう子らしさという物が出来るのかもしれません。
ここら辺は後編でじっくりと紐解いていければな…と
いろいろなお話をお伺いしてきましたが、改めて菅野さんの音楽はイマジネーションだけではなく、実際に体感したことや経験の積み重ねで生み出されているものだということがよく分かりました。
やっぱり、最終的には皮膚感覚で感じたものがすごく大きいと思うんですよね。だから今一番したいことは、リズムのルーツを探る旅なんです。(中略)いろいろな人に聴いたらリズムといえばアフリカがルーツだというので、人間のルーツになった猿のような存在が、初めて太鼓のようなものを「ドン!」と叩いた、そういう場所に行きたいんです。その場所に行けば、何でその「ドン!」が必要だったのか、何を伝えたかったのか、それは踊るためなのか、それともそうじゃないのか、それが分かるかもしれない。それが分かれば、リズムによる新しい表現も見つかるかもしれない。CDを聴いているだけでは分からない空気を震わす体感が、今は欲しいんです。
それが今、音楽家として追求したいことなんですね。
きっとまだ誰も鳴らしていない、もっと人の感情を揺さぶるリズムやビートがどこかにあると思うんですよ。私はそれを見つけて、鳴らしたいんです。そのリズムが鳴っているだけで生きてていいと思えるような、そういうリズムを探すことが、音楽家としてこれから追求していきたいことかもしれません。

ひょっとしたら作家はみな最後はリズムに…非黒人は特にそうかもしれませんが…、リズム探究に近づいていくのかなぁとか、そんな事を少し思いました。それは和声に限界があるとか、そんな事ではなくてですね…むしろこの人は和声的に全く解説出来ない曲を作っていたりもして。

菅野よう子[ライオン / マクロスF]の音楽理論的考察

このサイトとか非常に面白く、分かりやすく書いていますね。

日本の3大サブドミナントマイナー野郎
爆笑したぜ…

まとめと次編に向けて


さて、曲書きのみなさん。とにかくインプットしてアウトプットを繰り返せば菅野よう子になれるぞ!!! 

というのは言い過ぎですけど、ここら辺の凄い人ってさらっと恐ろしい努力や練習を自然とやっているんですよね…それこそ大学の先輩にこき使われてたとか、親が厳しかったからなんか知らんけど練習してたとか。あと周りが平気で7時間8時間練習しててみんなで屋根裏に集まって練習してたとか。

なんかそういう、当たり前になる様な努力と言いますか、猛烈に今俺はがんばっているんだー!と言った努力も大事ですけど。そういう物って長続きしないじゃないですか笑

そういう部分もあるし、今になってみるとあの経験凄く生きてるな…という事って結構ある訳で、そういった意味で食わず嫌いせずとにかく食べてみる、そして当たり前の様にとにかくやる、それから考えるという事は結構大事なのかもしれません。音楽である以上、それぞれの音楽同士何かしらの普遍性はありますし…ただ聞き流すだけではなくて、機械学習でいうデータセットの形にする=譜面起こすだったりコピーするだったり。そういう事が大事なのではないでしょうか。

後編についてですが、意図的にインタビューの中から飛ばして来た部分…プリミティブな感情表現と、作品に対する強烈な肉付け。この二点が最終的に菅野よう子という記名性に繋がっていくのではないかと踏んでおります。是非一度僕が書き上げるまでにインタビュー全編読んでみていださいね笑

後編はこちらから

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